2009年8月23日日曜日

治部坂高原~コスモス


快晴、浪合の治部坂高原へコスモスの様子を見に出かけてみた。
コスモスと言えば秋、まだ8月だというのにテレビでは盛んに流れる。
少々早かった。まだ、オレンジ色の花が一面に咲き誇っている状況で、我々がコスモスとして認識する色目はまだまだちらほらだ。これがオレンジと他の色が両方咲き誇る時期をつかむのが一番だろう。
リフトから見る状況も切り取り方によってはその迫力が出る。が、ゆりの時もそうだったように、動くリフト上からの撮影は結構難しい。

来週は選挙、だが9月の声をきいても何とか行けるのではないだろうか?状況を見てもう少し混合された色目をおさえたい。

2009年8月16日日曜日

車山高原

今年の夏は土日のほとんどが雨に見舞われ、車山~霧ヶ峰にかけてのニッコウキスゲを見損ねてしまった。
今となってはとうてい無理な話で、来年の夏を期待するしかない。
しかしどうしても収まらないものがあり、妻と娘と晴天をきっかけに車山山頂へ登ってみた。少々ガスって残念ながら富士は見ることが出来なかったが、かすかに画像にはおさめることができた。また北方向、蓼科山を仰ぎその裏に控える浅間山も拝むことが出来た。
画像は車山肩から霧ヶ峰高原、岡谷方面を望む。
道中152沿いにやたら見事な黄色い花の集団が。
これ、キク科のオオハンゴソウ(大反魂草)北アメリカ原産の帰化植物。当初は園芸用として輸入されたが、繁殖力が強く、地下茎で増え大群生をすることがあり、今では山深い里付近でも見られ、すっかり定着してしまったようですが、山野草などを売り物にした場所では、この花が群生してしまうと元来の野草が絶えてしまい、駆除が大変難しい花とのことで、害草として扱われている所もある。どの世界にも外来種が既存種を圧倒してしまうことがあるのですね。と紹介されていた。そんなにアクのある花には見えないのだが…。それにしても見事な黄色だった。

2009年8月15日土曜日

遠山郷

娘と二人でふるさと遠山郷へ行ってきた。
天気予報で飯田市南信濃を紹介してくれるだけのことはあって、迫り来る山並みとは別にこの谷は暑い。赤石銘茶と呼ばれるお茶がとれるだけのことはあり日中の温度は県内最高に上ることがある。
それはその通り、一歩県境を越えればそこは遠州浜松市だ。
この小さな谷で生まれ育った私は15までここで過ごした。以後この地で生活するのは私の父母。なかなか離れることの出来ないところだ。
改めて見ると、絶壁に近い山並みが谷の両側にそそり立ち、迫り来る感じがする。
写真右側から正面にかけて中央構造線が走る。右側が内帯、左が外帯に属する。

昼食は「かぐらの湯」。…写真。
今ではここが有名になったが、一昔前の「ヤマメ荘」時代のヤマメ丼というのが私の好物だったが、ここにはそれは承継されず誠に残念な事だ。
月末に夏祭り「御射山祭」があるが、今年は選挙が行われるために私は行けない。
道中車の数の多いこと、それもほとんどが他県ナンバー。多くは浜松、名古屋だが、どうしたわけか中には沖縄や岡山などというナンバーもすれ違う。
どうか上手に今の文化と人柄が奪われることなく、存在し続けてほしいものだ。








2009年8月13日木曜日

どんぐり横町


さて、夏休みを取り霧ヶ峰と思ったが、相変わらず天気が優れない。
お金をかけたところで、今日の夜には娘が帰ってくる。
となれば娘も連れて行きたい。
今日は153を南に下り、ネバーランドの「信州牛カレー」を食しに出かけた。さすがお盆、ネバーランドも駐車場がいっぱい、早めの食事で正解。
その後さらに153を南に下ってみた。どこまで行こうが名古屋を通り過ぎない限り東海環状にぶつかるはず。…写真は稲武の道の駅「どんぐり横町」。
私の高校の頃からの認識は稲武町だが、今は豊田市と合併し豊田市になってしまった。
これがまたすごい賑わい、駐車場へ入るのに時間を要する。
更に南下、意外や意外足助町の香嵐渓に出た。そこからは東海環状はすぐそこ。ところが、中央道がいただけない。東名の牧ノ原の通行止めでやたら車が多い。おまけに瑞浪から恵那までの間が10km以上の渋滞。…それでも帰ってきました。

2009年8月9日日曜日

休息日


今年の夏は思うような天候に恵まれない。
おまけに今週は妻が寝込んでしまい、その付き添いに外へ出かけることもなく終日自宅で過ごした。
「空弁当 自分で洗い 感謝する」…和山人心のうた。
滅多に病に倒れない妻ではあるが、よほど疲れたのか腸炎(私の診断では胃炎)、発熱、頭痛に倒れほぼ3日間寝たままだ、明日は出勤できるのか?おかげで十数年ぶりに出かける予定の りんごん も自宅のテレビで眺めて終わってしまった。…だからどうこうはないのだが。
ま、人員削減に続く削減で、肉体的な疲れの上に、精神的な疲れが重なって寝込んでしまったと言うことだろう。
雨と夏の日射しが入れ替わる異常な天候の中、看病の傍らカメラ片手に庭を歩いてみると、石壷の水にさっきまで降っていた雨が溜まり、さらに今では青空が映し出されていた。
今週はこんなところで、日頃自由に動ける私は妻のおかげであるから。
そうそう、息子のお祝いの日にユリが咲いたと思っていたが、どうもあれはニッコウキスゲだったような気がする。…たぶん。

2009年8月2日日曜日

あゝ、野麦峠


先週の奈良井宿で、意外にも野麦峠が近いことがわかった。
野麦峠と言えば女工哀史、大竹しのぶというのが私のイメージだ。
先週から一週間、時間を見つけてはいろいろと調べてみたが、なかなか歴史と奥が深い。たまたまであろうが、この主人公となった政井みねと言う女性、そうでなくても多くの少女が悲劇をたどったであろう。
彼女は調べたところ美人であったという書も残っている、写真で見る彼女は確かに美人で才女でもあったろうと想像がつく。
兄に背負われ飛騨に帰る彼女の石像は、その面影とは異なりかなり疲れ切った顔をしている。
そしてその姿は明らかに飛騨への谷を見つめ彼女に安堵の気持ちを与えただろう。
それはそれで物語っているのだろうが、キハツな彼女の容姿をそのままでどこかに残してやってほしいものだ。お助け小屋で昼食をとったが、このお助け小屋は当時のものではなくS45に民家を移築したものらしい。それでもおそらく当時の建物とそうは変わらないであろう。

今日の荒天の中、山頂の石碑へは上らなかったが、峠に限ることなく彼女たち女工が歩いた道をたどることも大切だろう。

冬の乗鞍、秋の峠、野麦街道。それは現代に生きる我々平和なものの考えることであろうが、いずれにしてもその道を歩くことで彼女らにより近づくことが出来るはずだ。


2009年8月1日土曜日

再び、富士見高原 ゆりの里 思わぬ出会い…

再び富士見高原へ、先週高速道路の事故通行止めで、単なるドライブに終わってしまったツケは大きかった。代わりに今週で良かったこともある。
2週間前に妻と行ったときには、リフトであがった上段はまだ蕾ばかりの集団があったのだが、今日はどうだろう、その蕾集団ですら開花を終え散り始め。…残念。
広角の独特の雰囲気をのぞき込むように撮りたかったのだが…、耐えられる主役がいない。
下段を歩きながら白樺ゆり園へ。とにかく今日は、スタートから白樺ゆり園へつくまでの間は超広角を外さないと決めていたので、折り返すまでは10-20オンリー。いやー、2週間前の時のこれをやっておけば良かった。
折り返しからは、70-200か90macroか、迷ったすえに集団での切り取りは難しいと思い90macroで切り返した。

と思いきや、ゆり園出口付近で見慣れた顔の女性。もしや、やはり。
まだ名は明かせないが私が思う限り間違いない。
サムネイルを640サイズにしていただき拡大すると写真の中にヒントがある。
こんなところで出会えるとは…。

集団の中に身を置く、少々あとびとなりのゆりを探す。
どう見ても黄色はバナナに見えて仕方がない。
やはりここのゆりは7/15~7末までにはおさえないといけない。

とりあえず今年のところはこれまで。