2010年11月25日木曜日

勝林院

地味だけど大原 勝林院。あまりに有名な三千院の隣にあって極めて地味。但し、この地域の住所を調べると「大原勝林院町」となっている。詳しくは知らないがおそらく想像するにこちらの寺の方が古いのであろう。
見るからに館自身も随分老朽化しているが、三千院との比較が先行するからであろうか?本堂のみ、周りの庭も小さいがそれだけにこじんまりとした古さを感じさせる。
後ろに控える山は雑木林に覆われているが、そのさらに奥に見える紅葉の樹木が返って奥行き感を与えておそらく意識したであろう造園の意識を感じさせられる。

さて、3日間を振り返って。若干既に触れてはいるが秋の京都は贅沢そのもの。四季を問わずおそらく京都は一月ほどかけないと見尽くす事は出来ないであろう。今回のテーマ東山は主立った所を回るのにも丸2日間ではとうてい足りなかった。先を急ぐ旅ではなく行き先の目的はありながら贅沢に納得いくまで時間をかけて見て回れば東山でも1週間は欲しいところだろう。
出かける前、無謀にも嵐山も一回りする予定ではあったがそれは次回の楽しみとして正直「また行きたい」と言う言葉で3日間を締めくくりたい。

三千院

京の旅3日目。残念ながら今日は帰らなければならない。来年銀婚を迎える妻とは私が大学を卒業する年の冬に京都を旅した事がある。それから既に25年、その時はレンタサイクルで京都を回ったのだが、実際どこへ行ったのか記憶はない。会話の中ではその思い出だけで「良かった、良かった」と言うのであるが、できればもう3日ほどここにとどまって歩き回りたいものだ。
最終日、京都は何度か来ているものの大原には夫婦二人とも行った事がない。最終日市内から比叡山を右手に見て大原に上がり、そこから市内に戻らずに北へ回って琵琶湖を渡って帰る予定だ。歌に唄われる「京都 大原 三千院」オーソドックスなおきまりの紅葉場所だが、客殿から寝殿を見た紅葉。これ良くパンフレットにある情景写真。
こちらは「わらべ地蔵」苔と同化していて見落としてしまいそうだが私の確認できたのは5体。全部でいくつあるのか調べてはないが、何ともだだをこねているかに見える寝そべった地蔵は愛嬌を振りまく。山道を登って境内最奥部の観音堂まで一回り、十分堪能して2時間は要する。
歌では恋に破れてやってくる事になっているが、東山とは異なった静かな空気が流れ落ち着いたたたずまいだ。

2010年11月24日水曜日

青蓮院

言わずと知れたライトアップの人気スポット「青蓮院」。
昨夜訪れたが、開院前の午後6時前には既に長蛇の列で院前の道路まで行列が出来ている状態。それを見て知恩院へ回ったのだが、その反省に立って今日は入り口前3番手に並んだ。
真にお恥ずかしい、昨夜の知恩院とは異なりこちらは三脚禁止と思いこみ持参しなかったので、ISO12800に拡張しての手持ち。良くはありませんが雰囲気を分かっていただけるだけでもよろしいかと。昨日の知恩院の様なつもりで入っていくと大きな間違い、まず寝殿(寝ではないが)へ入って回廊から眺める庭のライトアップが上のような状況。正に単なる紅葉のライトアップではなくて一種のイルミネーションショーである。
ぐるっと社内を回った後は靴を履き裏庭になる相阿弥の庭を歩く。庭の山に当たる部分は竹林となっておりご覧の通り。目に見えない風の動きや音を現すにはうってつけの竹林だが、何でもない竹林をライトアップするだけで何とも神秘的な場所となる。ただ、その奥に潜む闇は帰って恐ろしさを醸し出すのだが。
ここで京都2日目の旅は終了。強も十分歩いた。忘れてはいけないのが平安神宮。この青蓮院に併せて17時頃行ったのだが、既に閉門。夕暮れの空に朱色だけが際だっていた。

高台寺・圓徳院

いずれも秀吉の妻「ネネ」に関わる場所。数日前のBs-iで偶然見た場所。
「時雨亭」秀吉の死後晩年のネネはここでその多くの時を過ごしたと言われる。その多くは秀吉との在りしの思いでに慕った時で大阪城落城もここから赤く染まる空を眺めたそうだ。質素な小屋のつくり。歴史的に諸説有るが千利休がその造りに関わった言われている。いずれの話もネネの人柄が伺える。豊臣滅亡後もこの高台寺建立には家康も金銭的な補助をしており、おそらくネネの人柄がそうさせたものともう。また、多くの武将に慕われた北の政所だった。
そしてこちらが圓徳院。ネネ没後木下家の菩提寺として建立された。多くの武将が参加しておりこの庭は男庭、角が有り荒々しく作られている。

清水寺

京都二日目、まずはバスで東山の南端へ向かい清水から北へ北上する。
オーソドックスな清水の舞台だが、オーソドックスでもおさえざるを得ない情景。多くの観光客が平日でも訪れており、舞台は満員御礼。確か中学の修学旅行では随分山道を歩かされて水を飲んだ憶えがある。今となるとあの情景が舞台下の道のさらにしたにある小歩道を歩いて上ってきた様に思えるが、本日は工事中。おそらく散策できる歩道を拡幅しているのだと思うが、歴史に力を加えて現代物が入るのは良いのか悪いのか?
清水から高台寺へ向かう道中で、京のつきものと思えばこちら全くのコスプレの1枚。そう言えば昨日から浴衣姿の男女が結構いるが皆この手のものか?本物の舞妓さんは昨夜の知恩院でたった一人見ただけだ。

2010年11月23日火曜日

知恩院

さて、お待ちかねの京の紅葉のライトアップ。青蓮院へと思いきや既に開演前に長蛇の列、通り過ぎて知恩院へ。青蓮院は明日とする。
山門裏側、本日はコンサートが開催され賑やかな状況。この山門閉鎖されていて正面から登る事は出来ないが前面道路へ出られないだけで行き来は出来る。
「友禅苑」、友禅染の始祖宮崎友禅生誕300年を記念して、昭和29年に改修造園された庭園。東山の湧き水を引き入れた庭園と枯山水の庭園とで構成された昭和の名園。比較的歴史の浅い庭園、池の中に立つ像がどう見ても近代文化を物語っている。
京都初日のライトアップ、満足です。。。

南禅寺

東山でも屈指の南禅寺。だが紅葉ではあまり…照会される事が無い。とは言えこの時期の京都はどこももみじの紅葉が最盛期。
南禅寺は臨済宗、今日だけでいくつの宗派を回ったか?臨済宗・黄檗宗には15の本山があり、南禅寺はそのうちの一つで、南禅寺派の総本山だそうだ。
 本坊を挟んで彼女が撮る前にこちらが撮る、歴史を物語る磨かれた床板に坊の闇から外に広がるハイビジョンの世界が。
疎水、哲学の道同様琵琶湖疎水の水路橋、ドラマのロケにも登場する。その昔殖産興業、富国強兵の時代に水力発電に利用されたらしいが、今は飲用水の水路として現役。上から覗くと満々とたたえる水が静かに流れていた。

永観堂

総門をくぐるといきなり見事な色が目に飛び込んでくる。どの秋の京都を紹介した本にも必ずあるこの「永観堂」。いやはや見事な圧倒される紅葉の色合いに消化不良をおこしそうだ。
 総門から中門までの間、塀越しにこのような色合いが迎えてくれる。勿論拝観しなければこの庭には入る事が出来ないのだが、むしろ塀によって隠されたこの状況の方がいろんな想像を呼んで良いのかも知れない。
唐門、本堂入り口から入り回廊を回ると少々屋根の独特な門が目に入る。唐様式なのかな?
もみじの永観堂として千百有余年、我々の歴史など足下にも及ばない。。

哲学の道

いよいよ哲学の道。
京都の紅葉を照会した書ではあまり東山は取り上げられないが、なになに東山の紅葉も十分立派。南禅寺から銀閣までの間琵琶湖の疎水=琵琶湖の水を京都市内へ導いた水路の両岸に歩き道がある。何で「哲学の道」か?Ans哲学者・西田幾多郎がこの道を散策しながら思索にふけったことからこの名がついたと言われる。だが正式にその名がついたのは1972年だそうなので日かくて歴史は浅い。元々哲学などという言葉が日本にあったとは思えないのでそんなもんかな。。。

安楽院

法然院からそのまま南に下ると地味ではあるが「安楽院」がある。マスコットは「まほちゃん」…
 本当に地味である、東山の中にあってご本尊は千手観音らしい。と言うのも調べる限りあまり情報が無い。
中学の修学旅行でどこかでも「仏足石」と言うのを学んだ記憶があるが、それがここであったのかどうか?疑問である。多分奈良の薬師寺の事だったような…。
この仏足石、古いものでは紀元前4世紀頃のものが有るらしいが、両足が揃っているものほど古いらしい。。。

法然院

さて銀閣寺を出て普通であれば哲学の道へ下るのであろうが、すぐを左へ折れると法然院がある。
入り口付近はどれくらい登らされるのかと思う程の坂で始まるが、有る意味この寺の建立の意図にそのまま乗ったような、見える角を曲がれば即伽藍に出会える。
法然と言えば誰でも知る浄土宗の元祖法然房源空上人。この寺は後鳥羽上皇の熊野臨幸の留守中に、院の女房松虫・鈴虫が安楽・住蓮を慕って出家し上皇の逆鱗に触れ、法然上人は讃岐国へ流罪、安楽・住蓮は死罪となった。後の江戸時代初期になって知恩院第三十八世萬無和尚は、法然上人ゆかりの地に念佛道場を建立することを発願し、現在の伽藍の基礎が築かれた。

白砂壇(びゃくさだん)
「水を表わす砂壇の間を通ることは、心身を清めて浄域に入ることを意味している。 」

と言う意味らしいが、折しもこの紅葉の時期砂壇にはもみじの絵が描かれていた。

慈照寺 銀閣

ホテルへ車をおいて市バスで移動、考えられないほどの人たちがバスを利用する。地下鉄に比べると時間が読めないのは事実であるが、それでも観光案内を片手にまわるには十分な足。
どうだろうほぼ30年ちょっとぶりの銀閣は。
個人的には好きな寺。。。
意外に知られない歴史の中で、銀閣寺は裏山の崩落により江戸時代に移転、修復、改装が行われている。銀閣の代表この「観音堂」。実は元々1階と2階をつなぐ階段はなくそれぞれの階層が独立した造りであった。2階へは独立した回廊から階段を上って入る、それが証拠に2階の南北方向には窓ではなく扉が備わっている。元々東求堂(トウグウドウ)から立体的な専用の建築で結ばれていた。勿論、建物の配置、庭園の形位置も全て江戸時代の復元で変えられている。
残念ながら、銀閣寺を創建した室町幕府8代将軍の足利義政は完成を見る前に他界しているが、完成当初は、祖父である足利義満が建てた北山山荘(金閣寺)が現在も金色であるのに対し、月夜に銀色に輝く様、塗装を施されていた。東山文化の代表東山山荘。
…私の記憶が正しければ…
銀閣正面錦鏡池越しに見える山、これが崩落した斜面。

拝観を終えて銀閣寺前の抹茶シューを妻と。教典を唱えるこの方が、仏の道は世界共通のようだ。

東福寺

今日から3日間、紅葉の古都「京都」を巡る旅となる。先週は全く紅葉無しと言った情報であったが、道中関ヶ原を過ぎたあたりから名神から見渡す山々は皆彩りを放っていた。
東山を中心に歩く旅を予定していた私たち夫婦にとって、ここ東福寺は少々外れの位置にある。したがってまず高速を降りて東福寺へ直行、そこから北上して銀閣から南下することとした。

有名な東福寺の「通天橋」。朝の8時半には到着したのだが、既に長蛇の列が出来ていた。当然紅葉の名所としてはここを渡らずして語れない。
こちらは「経蔵」少々日本離れした屋根が印象深い。

2010年11月20日土曜日

渡し場のイチョウ

先週チェックしたのだが、まだまだ昨年のような黄金風景は望めなかった。
天龍峡から一挙に竜東を走り抜けて渡し場にやってきたが残念。既に遠目から枝を広げた樹形が見えてしまった。
この一週間がピークだったのか?半数の樹木が既に葉を落とし白く染まった中央アルプスと秋の青空をバックに黄金色に輝く姿は今年は逃してしまった。
周りでは既にシートを広げ銀杏の実を干している状況にもなっており駆け足で通り過ぎる里の秋の短さを痛烈に感じた。
黄金の絨毯を歩き回ったあと、車の中はあのにおいが充満したのは言うまでもない。

天龍峡

足下の紅葉が真っ盛りの今、天龍峡の様子はどうか?訪ねてみた。
幾分ピークは過ぎてしまったもののまだまだ色が存在し川の流れと相まって らしさ をひょうげんできた気がする。
中心部の橋からのぞき込むだけでも十分きれいな色合いは眺められ、なおかつ散った葉もまだみずみずしく輝いている。残念な事に切り立った岩場の渓谷には紅葉は望めず観光地の秋は終わったようだ。その昔三河大地が隆起し天竜川の流れをせぎ止めるように巨大な大地が生まれた時、気の遠くなるような時間をかけ天竜川が浸食しておさまった場所がこの岩盤の切れ目だったのだろう。いつからこの植生がこの地に居着き何回となく彩葉をこの水に流したのかとうてい見当はつかないが名勝と言われる様になっただけの美しさは今も昔も変わらないのだろう。

2010年11月13日土曜日

小渋峡

しばらくの間、紅葉が待ちきれずに外の紅葉ばかり追いかけていたが、いよいよ足下の紅葉がピークを迎え今週はそちらを追いかけてみた。

小渋峡、意外に意外圧迫する紅葉が今年は望めない。昨年は腹一杯の紅葉だったのが今年は寂しい限りだ。道中多くの車と多くの人に出会ったが、おそらく大鹿歌舞伎が有ったのだろう。多くの人が温かい格好をして座布団や毛布を持って早足で歩いていた。

秋葉街道


秋葉街道と言ってもご存じの方はご存じ、このR152は幻の国道、東御市R18との交差点から端を発するこの国道は、大鹿村・飯田市の境界である地蔵峠で一旦林道にうつり地図上に存在する旧上村大島地区までの間の道が存在しない。さらに南下すると旧南信濃村青崩地区でまた道が無くなり現浜松市とは兵越林道つながっている。
天神峡をあとにして矢筈トンネルに向かって戻り、その手前からしらびそ高原方向へ向かって登り出す。途中幻の国道とは分岐し、さらにしらびそ方面から分岐すると地蔵峠へ至る。その道中既に冬支度を終えた木々達の後ろでまだ黄色く染まった唐松の色合いをバックに樹間に秋真っ盛りを迎えている木。3世代同居というか何というか?秋の時は長くそれぞれの木々がそれぞれのペースで秋を迎えている。
さらに地蔵峠を経て152に戻り秋葉街道を下ると、小渋川水系の青木川に沿って下る。この街道沿いは秋真っ盛り。先週の大町の谷が紅葉一色で彩っていたの対し、この谷には常緑樹が有るのでさらに緑が加わっていっそうメリハリがつく。
その昔旅人はこの紅葉を見ながら遠州から青崩を越えて信濃に入り、合戸、地蔵、分杭、杖突、…
旅をしたのであろう。

天神峡

こちらもまた当たり前に通っている道の端。確かに岩場はいつも気になるところだが、中央構造線のためか岩盤を見せている路頭の堆積岩の地層が隆起による褶曲が見られずにほぼ水平方向に成っている。豊口岳登山口の屏風岩にはその規模で負けるが、植生が有るところもおそらくこの岩盤の上に崩落土がかぶっているのだろう。

こちらはその天神峡から北方向、大鹿村方向を望んだ景色。紅葉が進んだ山ばかりではなく、中断に常緑の緑が入ると一段とその紅葉が強調される気がする。足下の紅葉に改めて目を向けると意外な発見がある。

矢筈湖


当たり前のように車が行き交い上、南信濃地区からは通勤する人たちもいる道の脇ではあるが御射鹿池のような雰囲気が一見ある。これに霧でも有ればなお良いのだろうが。私が幼少の時にはこのダムはまだ無く、ダムの底に沈んだ旧道を通っていた。そして現在のダムサイトにあるボーリング調査や岩盤を洗い出した状況が未だに記憶にある。海水のように青く輝く水は山の淡水には望めないが、それはそれでその美しさを輝かせてくれる。

2010年11月7日日曜日

もみじ湖


昨年訪れて、山が燃えるとはこのことかと思わされた、正直ダムへ至る道中では紅葉のもみじが多く見られ期待感が高まるのだが、もみじ湖をターゲットにするとがっかりする。そこで足を止めずにさらにその奥へ入ると燃えている。もみじ湖祭りと称したテント張りの売店はあまり期待できないが、そこを取り巻く環境は見事なものだ。

昨年は少し遅れ気味で訪れ、その反省に基づいて今年は少し早めに行ってみた。初めてでは発見できないものを求めて手前で車を駐めて歩き回る。この燃える法面を歩いてみると、兎か鹿と思われるものとイノシシと思われる動物の糞と足跡、流行の熊はどうなのか?宵の紅葉巡りを四季に敏感な動物たちの方が楽しんでいるのかも知れない。

最奥地の公園まで歩いて登るとまた違った情景が見られる。ここだけは周囲に白樺も自生?または植えられ天気に恵まれなかったときの美しさはこちらでも楽しむ事が出来るだろう。
んー、小学生時代の紅葉期の写生を思い出すような光景に少しだが若返った気がする。

光前寺 庭園

何度も訪れている光前寺だが、毎度有料の庭園には足を踏み入れた事がない。光前寺の紅葉はその境内でも十分きれいな色が出るのだが、ネット上で評判を呼ぶのは庭園の紅葉だ。もみじ湖のあと光前寺を訪れ始めて庭園を覗いてみる事にした。貧乏人の習性でお金を払って見る事になれない私は、その抵抗で今まで見ていなかったし、この地で育った妻も見た事がないという事だった。見てみて後悔した。何故今までこんな良い所を見ていなかったのだろう。オーソドックスに入場料=入館料と理解する情けない習性が、それに見合うものを返してくれた。
本堂を拝観するは当然だが、そこから回り込むとぐるっと巡る回廊から大きいとは言えないが立派な庭園が見る事が出来る。十分に庭園を見たあとお茶が用意され、さらにお茶と和菓子(法楽)が用意される。ここで畳に座り茶を飲みながら大きなガラス窓越しに庭園を眺めるのはまた心が落ち着く。先ほどまで気がつかなかった庭の隅が妙に見えてきて再度腰を上げて庭園に見入ってしまう。そしてその茶碗がオリジナルで持ち帰りが許される。なんとまー、これまで幾度となく足を運びながらこの存在を知らなかったのは情けない。ここもまた四季を追いかけるべき場所の一つに追加。。。

2010年11月3日水曜日

霊松寺

曹洞宗長野県内では最古のお寺 らしい。まんざら関係ない訳でもないが、勿論紅葉をためてのお寺巡り。おまけに地元の方のコンサートが開かれており山麓中にこの歌声が広がっていた。
この寺、珍しく全面公開されていて寺内を自由に見学できる、よく寺と神社を間違えて寺でありながら手を叩く者がいる。とこの寺ではやたら手を叩く人が多い。と思っていたら、天井に描かれた竜が手を叩くと声をあげるらしい。と言う事で手を叩いてお参りではなく、手を叩いて竜の声を聞いていた。おそらく竜の頭の位置で手を叩くと音が響いて鳴き声が聞こえるのだろうが、自宅に帰ってからパンフを読んで初めて知った次第だ。
庭の紅葉は見事、自分が紅葉に包まれるハイビジョンの世界がそこには広がっていた。。。

青木湖

この糸魚川に沿った谷は谷全てが紅葉で美しい、ここまで来たのだから当然仁科三湖はおさめるべきところ、それて高瀬渓谷、黒部へ通じる道も捨てがたいが自然の宝庫だ。大町と言えば小学校の教科書に出てきた豪雪地帯の「雁木づくり」。寒く厳しい冬と鉛色の雲しかイメージには無い。現実来てみればよほど我が町よりも平らは広く、明るく全くのイメージ違いだ。
GSで聞いたところ、「31日に雪が降り北アルプスは白くなった。」そうだ。南アルプスは今朝白く染まっていたが、31日南信で雨が降っていた頃北では雪だったのだろう。
白く染まった北アルプス、中腹の晩秋の紅葉を見せる茶色、麓では紅葉まさかりの微妙な時のうつろいが色で見て取れる青木湖だった。
《NHK 撮るしん 11/4 放映:四季のうつろい》

大峰高原 七色大かえで

そろそろ7色が見られる頃と見込んで出かけてみた。情報では今週末は赤一色になるという予測である。しかし、この様子では週末にはまだ赤一色という状況にはならないのでは?初めて豊科から大町方面へ入り込んでみた、勿論安曇野は周知の所だが、それより奥と言えば雪深いイメージだけが強い。多くの人が訪れている、全景をおさえるには早朝の到着が必須だろうが、他県ナンバーの多い観光地となっている。やたら駐車場のお金を取ったり、テント張りの店が並んでいないのがいい。おそらく個人の所有される土地に古い時代に植えられたor自生したものであろうが、この地形からしてこのカエデの周りを放牧された牛が歩いていた想像がつく良いところだ。