2011年9月23日金曜日

付知峡 ~中津川市

すっかり朝晩冷え込み夏は終わり秋がやってきたようだ。紅葉シーズンを前に気になっている場所を偵察に。岐阜県中津川市付知町、下呂の少し下で比較的近い。距離にして80km程度、1時間半かければ十分、しかし、紅葉シーズンは混雑が予想される。
上の画像は不動滝上流の渓谷部、付知川の両側に岸壁が切り立っている。感じとすればこれがそのまま頭をはねられると寝覚ノ床といった感じで、事実近辺に"新寝覚めの床"というのがある…?
さすが木曽川に注ぐだけあって水はエメラルドグリーンで美しい。
こちらはさらに上流の仙樽滝。まだ台風15号の影響が残るのか水量が多く水しぶき激しくいったい亜霧に包まれた状況だ。
よく見ると隣に枯れてしまったような滝があるのだが、これがかつての滝なのか?はたまた単なる自然のいたずらなのか不明。峡谷の岩石がそのまま風化して切れ落ちたように丸みのない角の鋭角な岩石が付近を覆っていた。遊歩道でぐるっと一回りしてみたが、お決まりのと言っては失礼な「熊出没注意」の立て札があちこちにあった。そろそろ熊に気をつけなければと思いつつ、妻の持っていた熊鈴が妙に心強く感じた。もう少し付近の調査をして再度チャレンジする。

2011年9月18日日曜日

日本昭和村 ~美濃加茂市

明治村というのはどなたもご存じだろう。大正村は明智町にある。こちらは岐阜県美濃加茂市にある"日本昭和村"。昭和村ではなく日本が付く。初めて知って即行ってみた。
こちらは美濃加茂ICを下りてすぐだが、ハイウェイオアシスからも入ることができる。温泉まで付いているテーマパークだ。名前からして昭和の町並みを意識したように感じるのだが、その実昭和を生きてきた私には特別に昭和を感じる雰囲気はなかったが、これなどは懐かしいパーツ。
どうでしょう?すぐにこのコマーシャルの音楽が口から出てくる。「オリエンタル マースカレー、太陽の味マースカレー」だ。園内のお店でみなくなったこのカレーを売っている。どことなく粉っぽく、辛さは子供でもいけるあまり辛くない程度だ。んー、懐かしい。私の年代以上の方はそういえばみたことのある人形だと思うだろう。このカレーのパッケージはコック帽をかぶった子供がスプーンを持って写っている。思い出していただけたであろうか?
さらにこちら、何がよいかというと今はもう使われなくなった「パーマネント」という言葉だ。我がいとこがこれをカーマネントと言って大笑いをしたことを思い出す。もう40年以上前の事だが。
勝手に昭和の雰囲気を感じなかったと言いながらも、味、響き、言葉、質感、これを我が子供時代の昭和へ引きずり込んだ 昭和村 の勝ちだろう。やはり昭和村だけの事はある。是非一度行かれてみては、お勧めする。

太田宿 ~美濃加茂市

中山道"太田宿"。昭和村の近辺で今回は下見程度に足をのばしてみた。
同じ中山道の妻籠宿や馬篭宿の様にすべての住宅がそのまま残されているわけではなく、そこかしこに当時のものがそのまま残っている感じ。そういった意味では旧街道筋ではありがちな町並みというのが正解だろう。
ここでもやはり妻籠宿同様皇女和宮の話が大きく語られ、その様子を再現した 中山道祭り が催されるようだ。この和宮に関しては中山道は姫街道と呼ばれ、厳密な歴史の知識がない私には悲劇のヒロインと言って良い程度のものだが、和宮という名前に惹かれるものがある。

2011年9月16日金曜日

しらびそ高原

やはり平日とあって高原の賑わいは寂しい。私がたどり着いた昼近くは車が3台程度であった。それでもその道中は何台かの車とすれ違ったので上り下りしている人たちがいることは確かだが。
その名の通り赤石山脈の稜線から奥、静岡上空には雲が出ていてコントラストがつかないが、稜線はくっきり。
聖 兎 中盛丸山 大沢 小赤石 荒川 までがくっきりと手に取るように見えた。ここでの大沢の屏風状に切り立った山容と、明らかに山色の違うごま塩の荒川がくっきりと仁王立ちしていた。いずれにしてもこの山並みを見ながら座っていれば、時の過ぎるのも忘れてすがすがしくなるのは事実。欲を言えば本尊の赤石も見えると文句ないのだが、そこはそれ懐の深い山「赤石」、そう簡単には拝ませてくれない。くっきりした樹界がはっきりと見え、もうじきこれを茶色に焦がして頭を白くする季節がやってくる。

御池山林道

下栗からしらびそ高原へ抜ける道中、まだまだ緑輝くクマザサが生い茂り独特の白樺の点在が気になる場所。まだ秋には遠いが確実に近寄っている気配は感じる。雲の多い日となってしまったが、この連休は明日までが雨は降らず日曜日あたりから怪しくなる。本来下栗のそばの花を目指したのであるが、下栗へ上がれば当然ながらこの林道でしらびそへ抜けるのが横道だろう。
南アルプス側は雲が尾根にかかり、特に南に行くほど雲が多く上河内岳より南の稜線は雲をかぶって残念ではあるが、雲間の青空と冷たい空気、日差しを遮る木陰などは見た目にも涼しさを与えてくれる。御池山クレーターの縁は秋の紅葉が楽しみだ。

下栗の里



ここまで耕作します。「耕して天に至る」とはよく思いついた言葉。まさに家を建てれば屋根がそのまま裏の畑の高さになる。同じ勾配で畑が家の横にある。そしてその目先には南アルプス 聖 兎 上河内 がそびえる、毎朝夜が明けるとともにこのような山並みを見られれば幸せに思える。
実は私の祖母もこの下栗の生まれ、今でも小学校の宿題で時間に関する話を祖母に聞いたときの星の動きで時を知る方法を思い出す。まだまだ車の行き来もない時代のことである、夜明け前から働いていたであろうその時代、星の位置で時を知り自然とともに共存していた時代だ。
昨今の自然災害発生の多い時代、この急傾斜の土地もこのまま人々の生活の場であることを祈りたい。

2011年9月12日月曜日

中秋の名月

中秋の名月は旧暦の8月15夜の月を指し、常に満月とは限らない。しかし、今年の中秋の名月は6年ぶりに満月と重なり月様を見せてくれた。月を眺める文化は中国・日本では古くからあり、日本では縄文時代に既に存在していたと言う話も聞く。まあ、古くは自然物崇拝が基本であるから、地球上の身近な自然物と同様に生活には身近な存在であった事は確かで理解できる。
いずれにしてもこの地は今宵天候に恵まれ、ただ撮っただけでは太陽のように光り輝く球体となってしまう。
こちらは月の南部半分の切り出し。代表的なティコクレーター。直径85km、比較的新しいクレーターのため(とは言え1億8千万年前だそうだ)にその後のクレーターが重ならず綺麗な形を保っている。内部は反射率の高い物質に覆われ筋状に見えるものは地形の起伏ではなく、このクレーターから反射された光条で1,500kmもあるそうだ。この反射率の正体が比較的保温効果があるのか?クレーター内はホットスポットと呼ばれている。

2011年9月11日日曜日

美ヶ原高原

昨年は松本側から登り、自然保護センターから王ヶ鼻、王ヶ頭ホテルを経由して美しの塔を目指したが、いかにせん虚弱な体力で途中で断念、遠目に塔を見て撤収した。今年は反対側、山本小屋側から歩き出し、とりあえず走破のための昨年の引き返し点までを目指した。
根本的に歩き出しが平坦に始まるだけで随分楽に感じる。少し上がれば美しの塔も、王ヶ頭も見渡せ、意外にも歩く意欲をもてる。戻ってきた夏の日射しと高原の冷たく感じる乾いた風に恵まれ気持ちの良い高原が満喫できた。
馬も撮ります。美ヶ原と言えばどうしても"牛"のイメージではあるが、これは子馬。近傍には母親と思われる馬が寄り添っていた。目は優しく、よーく見るとその骨格はキリンを思わせる構造を想像させるが、間近に見る馬はその足の大きさや毛づやも含め力強さと美しさを持っている。
牧草地で風にたてがみを流しながら走る姿は平和の象徴化のようにも見える。

こちらはビーナスライン三峰大展望代からの展望。毎回思うのだが、このなだらかな山容を見ると美ヶ原に来た気がする。勝手な個人的解釈で、おそらくこの地帯は老年期を迎えた山なのだとおもうが、険しく切り立つ場所は少なく地球の歴史の中で早期に造山去れ、長い年月を経てここまで丸くなったのだと想像する。
美ヶ原をあとにし、美ヶ原美術館に寄ってみたが、なんとそこは上田市。意外にも北に足を伸ばしている事に驚いたが、良く天気予報で流れているあのモニュメントが並んでいた。

2011年9月10日土曜日

鎮西の大滝 ~下條村

以前どこかの観光パンフで見たことある滝が気になっていたのだが、多分阿南町のパンフだった気がするこの滝。調べてみると大滝と小滝と二つあるようだ。思っていたよりも寄りつきが良く、車で間近まで行ける。滝をとる時は毎度の事ながらその音で周りの音がかき消されてしまい、他の人が近づいても声をかけられるまで気がつかない事が多い。さらに滝の水音がいろいろな音に聞こえていろんな気分にされるのがおもしろい。
とは言え、「熊出没」も当然気がつかない状況なので、たった一人キョロキョロしたりもする。
近くにある石碑の碑文によると、昭和20年の大災害でこの滝の不動明王が流され行方しれずになっていたものが、平成13年から始まった一体の親水公園整備で下流から発見され元の位置に安置されたそうだ。人間の歴史の中で一番古いと思われる自然崇拝の原風景がここにも存在した。もっとも、対象はこの山自体でその意図を現すものがこの滝だったのだろうと勝手に解釈するが。
滝壺の下には山あじさいが咲き、このあじさいはここでしか根付かないと地元の方に聞いた事がある。いずれにしても、天竜川を基準としてそう遠くない場所に落差16mの滝が存在するのはいかにこの伊那谷南部の地形が狭く急峻かを物語っている。

2011年9月4日日曜日

高ボッチ高原

今週は全国的に台風12号の影響で振り回され、発足した野田政権の陰もまさにドジョウのごとく潜めている。もっともこの状態で政治番組を放送している放送局もいかがなものかと思うのは私だけだろうか?
さて、そんな荒天の中今週は高ボッチの様子を。これは8/30の様子であるのでお間違えのないように。
青空が広がれば爽やかという言葉の通りの高原だがそれはほんの一瞬だった。道中20号から上り出すと一気に風は乾いた涼しいものとなりエアコンはもちろん切って窓を全開の走行が心地よい。
残念ながら北アルプスの稜線は厚い雲に追われ、眼下に安曇野の平らを見られたのもほんの一瞬。瞬く間に霧が上りだし下界の様子を覆い隠してしまった。
反対に東は諏訪湖、八ヶ岳の稜線は確認できたものの、遠く富士山は雲の中でその姿を確認できなった。折しも昨夜の諏訪湖の花火は多くの人がここでシャッターを切ったことと思われるが、その諏訪湖のみられるところにはあちこちにどこかの草原の動物の巣のようにススキが丸くつぶれており、カメラマンが巣造った痕跡がみられた。

まず第1は北アルプス槍に突き刺さる夕日、そして朝焼けに染まる富士を撮ってみたいと思っているがいつの日か、ということにしておこう。
高原の短い夏は終盤を迎え、やたらと赤とんぼが飛び交いすでに初秋の高ボッチ高原だった。