2013年9月29日日曜日

彼岸花 ~ 嶺岳寺

妻が新聞で嶺岳寺の彼岸花の記事を見つけ、早速出かけてみた。
まだ、朝日が暖かい早朝であったが、多くの人が訪れ、他県ナンバーも数台駐まっている状況だった。この時期、道を走れば赤く見えるのはほとんど彼岸花だが、この寺の情景は規模が違う。
山寺特有の急峻な地形にお墓が並ぶ状況だが、気後れしながら他人の墓地を通るのが順路らしい。最も私の入る予定の墓地もそんな状況だが。そこかしこにおかれた石像が、見方によっては大原三千院を思い出させる、にんまりする顔つき。
地元にいながらノーマークだったこのお寺に、久しぶりにマクロレンズを取り出した。

2013年9月22日日曜日

日本大正村

 秋の連休、紅葉の話はまだ聞くことができずに、花の季節も一段落。この時期を狙って行けずにいる場所を訪ねることが得策と、かねてから様子を見たかった明智町の大正村を訪ねてみた。
以前に一回、大船山へ登ったついでに恵那に抜ける途中、明智鉄道の明智駅を覗いたことがあるが、まじまじとその町を歩いたのは初めて。
日本が高度成長期を迎えて以後、バブルの崩壊がまでが一つの節目で、その後古い文化はだんだんと消えて行ってしまったことをつくづく感じた次第だ。
このような、玄関を入って裏まで抜ける土間などは我々が子供の頃はまだ何軒も見られた。事実私の家もこのような造りでなじみがある。残念なことに、旧三宅家へ訪ねたときのおばさんは、このような家のわかるのは昭和20年生まれまでの人だと自信ありげに話していたが、実は日本の成長は地域によって異なり、私のように田舎の山奥で育った者は昭和20年どころか、40年生まれでもこのような家を経験上知っている。
その時代を残すことは、住民の努力の上に成り立ち大変なことだが、反面、古い時代から新しいものへと変化を遂げるのが歴史でもあり文化である。否定をするわけではなく賛同はするものの、新しいもの、変化するものを否定することとは違うのだが。わかってもらえるか?

2013年9月15日日曜日

鉱物博物館 ~ 中津川市


長いこと更新をしませんでした。
夏場は興味を引くものの端境期であることと、この一月休日のほとんどを家のことに費やしておりました。おかげでずいぶんとたまっていたものが片付き、すっきりした住環境が整いました。
とはいえ、まだまだやることはあるのですが。
この連休、台風18号の影響で、明日はおそらく動くことができず終わると読み、本日はつい先日知り得た中津川の鉱物博物館に出かけてみた。
中津川が、というよりは岐阜が比較的(自然界の)放射性物質が多いことは知ってはいたのだが、たまたまの自然現象とはいえ、人間自然の中で生きるにはそれ相応の適応性があるものだと改めて感じたものでした。



富岡製糸場と一緒に訪れた、群馬県立自然史博物館とまではいえないものの、勉強をするには十分な施設と思われます。
群馬の時のも感じましたが、3.11以後、放射能とか放射性物質というとムキになって怖がったり、敵視する傾向を感じますが、我々が住む自然界には十分地中と宇宙から放射される物質が行き交い、その中で位していることを学んだ上で無いと恐怖心をあおるだけと感じております。…人工物は除いて。
代表格「霧箱」などは、日常生活において現実に我々の体を突き抜けている放射物質を目で見るのには優れもので、その場所だけででの出来事のように勘違いしている方がおりますが、それが自然界と認識した方が良いと、改めて感じた次第です。